森羅万象、すべてが師

 最近、特にこの言葉を実感している。
 以前ブログに取り上げた蒼竜寺住職公方俊良氏の「般若心経人生を強く生きる101のヒント【三笠書房刊】」に出てくる、「謙虚になれば、森羅万象すべてわが師」という言葉である。
 というのは、課内にいるK君と接していて特に思うのである。
 入社間もないK君はうつ状態で昨年を過ごし、unizouと出会う前まで休みがちだったし、ほかの社員からは変わった人間と思われていたようなのだ。
 ところが、実際は、命令したことはきちんとこなすし、特にミスもない。また、知らないことはあるが、吸収力はある。
 残念なのは、他人の目を意識しすぎ自分を追い込んで疲れたり、気分にムラがあったりしがちで、1日のうちに何度か仕事から離れて、休みを取らないといけないという状況だった。
 また、急に、眠れずに朝起きられないということで、休みを願い出ることもあった。
 本人は、何とかほかのみんなと同じように勤務したいと思っているが、なかなか思うように行かないようだった。
 そんなこんなで、K君と出会って数か月になるが、ほめたり、叱ったりしながら過ごしてきた。
 特に、1か月くらい前になるが、朝起きられずに家にいたK君に電話し、懇々と次のように話した。
 「K君は真面目に周りの人との関係を考えて、自分を追い込んでしまって疲れたり、眠れなくなったりする。でも、最近は、あまり周りの人の視線を気にせずに自分の仕事をこなすようになってきている。朝起きて仕事に出かけるのは、うちの会社だけでなく、どんな職業についても同じこと。それができなければ、社会人としては失格だよ。きちんと、そういった生活のリズムで送れるような習慣を身に着けないと・・・。」
 昔なら、親でも上司でも普通に言っていたような言葉。それが、相手がうつ状態であるからと、その結果を気にして、お味噌扱いしてしまうのが最近の傾向である。そこを、彼の人格を尊重しながら、言うべきことは言おうとやってきたのである。
 そんな彼が、徐々に変わってきているのが実感できるようになってきた。
 彼が、自分の境遇を打ち破り、休まなくなり、朝起きられないということがなくなってきたのである。
 そんな状況になって、自分がK君を導いているのでなく、自分がK君に導かれて成長しているような気がしているといった感じなのである。
 K君の足りないところを知り教え導くことが、自分を忍耐強くし、思いやりを持って接する心を持たせてくれているという感じなのである。

素直な心を持たなければ、先入観や固定観念によって縛られた自らの意見のみがしゃしゃり出て、相手の意見や教えにうなずこうとしないからです。
 せっかくの教えや真理に出会っても、その教えに反論したり、欠点を指摘し、揚げ足を取ったり、無視したりしたのでは、決して教えを得ることも、悟りを得ることもできないのです。しかし、素直な心で対象を見れば、森羅万象が仏の教えであったと目覚めることができるのです。

 「なるほど、・・・。」と、うなずいている毎日である。