存在意義2

 最近、会社でunizouは小姑のようで、自分のことを好きになれずにいた。
 どう思われても言わなくてはいけないと思って言っている自分もいるが、細かいことを言いたくない自分がいるのも事実。
 若い社員の間には、「君は好き。あなたは嫌い。だから話をしたくない。」といった小学生や中学生のような関係が残っているし、中堅クラスの社員には、「自分の仕事はそれなりに一生懸命やるが、それ以上は・・・?」という雰囲気がみえて、何とかそういった雰囲気を打破しようと注意していた。
 そして何よりも、仕事の横の連携がなかったり、それぞれのノウハウが蓄積されずに、人事異動のたびに同じようなことから思考を始め、重複した事務量を投下したりしているということが非常に多く悩みの種で、そのことを社員に注意することも多かった。
 企業経営理論の「組織論」で習ったような、個々人のモチベーションが高い組織にしていくといのは本当に難しいと実感している毎日だったのだ。
 といいながら、毎日誰かに小言のように「こうして、ああして」と言っていると、さすがにプラス思考のunizouでも自分のことに多少嫌気がさしてくるといったところだった。
 そんな毎日を送っていたら、読売新聞の「うぃめん・あっと・わーく」というコーナーの「真剣本音Q&A」に事務のパートをして5年になる女性からの質問が掲載されていた。
質問の内容は、次のようなもの。

 男性上司があまりにも仕事ができず、その失敗をフォローしたり、注意を促したりしているが、その上司は、「ごめんごめん」と誤るものの、平気で同じミスを繰り返している。事務所内でも「仕事ができない」と有名だが、宴会部長のようで、他の同僚からは評判がいい。それが、癇に障る。部長に相談したら、「君がしっかりしているから、彼をあのポジションにおいて置ける。我慢して」と言われたが、ダメ上司との付き合いを考えると気が重い。

 その質問に、「リング」などで有名な作家鈴木光司さんが、次のように回答していた。

 生きている幸福感を得られるのは、周囲から必要とされている自分を意識することが多い。仕事はできないけれど宴会で盛り上げ役を果たす上司は上司なりに、そんな彼を仕事の上でカバーするあなたはあなたなりにしっかり自分の居場所を発見しています。人間の能力は均一ではありません。逆のパターンを考えてごらんなさい。仮に、あなたの周囲の人間があなた以上に仕事ができる人ばかりだとしたらどうでしょう。あなたがその職場に存在する意義は希薄になり、充実感を得られることもなく、ちょっと落ち込むはずです。部長もあなたのがんばりを認めてくれています。ダメ上司との付き合いもまた結構なことではありませんか。彼をカバーすることで、充実感や幸福感を得られるのですから。

 そうか、いろいろ考えさせられる職場にいることで、少しは役に立ち、自分のためにもなっている。
 それに何より、自分の存在意義もあろうというもの。やはり、受け止めようかもしれない。
 自分は自分なりに、お客のための貢献していくことを第一に、個性のある社員とつきあって、組織を高めていけばいいのだと思えばいいのかもしれない。