細川ガラシャ

 現在NHKで放映中の大河ドラマ功名が辻」を毎週見ている。戦国時代を行きぬく武将たちの生き様が、信長、秀吉、家康でなく、秀吉が家臣、山内一豊の視点から描かれていて面白い。
 今ちょうど、天下分け目の合戦、関が原の戦いあたりだが、その直前、細川ガラシャが石田光成方の人質になることを拒み、38歳でこの世を去った史実が放映された。
 時を同じくして、NHKの「その時歴史は動いた」でも細川ガラシャが取り上げられ、彼女の生涯が紹介された。
 Unizouはこれまで、ガラシャ夫人の名で知られる彼女のことは、細川家に嫁いだキリシタン女性程度の認識しかなかった。
 明智光秀の娘「玉」であること、信長のすすめで細川忠興に嫁いだ(政略結婚)が相思相愛の夫婦であったこと、しかし本能寺の変後「逆臣の娘」として周囲が一変したこと、それでも妻を愛するゆえ忠興は玉と離縁できず、玉を京都に隔離・幽閉したこと、秀吉の怒りが癒えた後は大阪の細川屋敷で軟禁生活を送ったこと、人生の変転の中キリスト教に出会い洗礼を受けたこと、秀吉による禁教令後も密かに信仰し続けたこと、そして最後は家康方についた細川家のために、三成方の人質要請を拒み、命を落としたこと、これら全てのことを、両番組を通じて知った。
 特に玉の最期が壮絶だった。自殺は大罪でありそれを禁じるキリスト教カトリック)の信者でありながら、一方大名の妻でもあった玉は、忠興から万が一の時は細川家のために自刃するよう命じられていた。夫にも信者であることを伏せていた玉は、自分の最期をどう迎えるか苦悩する。
 そして出した結論は、信者であり通し、大名の妻でもあり通すため、人質要請を拒んだ細川家に対し、三成が実力行使に出て兵に屋敷を囲ませると、玉は自害を選ばず、家老の小笠原少斎に胸を貫かせて死んだのだ。享年はなんと38歳。
 辞世の句は、「ちりぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ 」。
 父光秀の謀反後、「逆臣の娘」として苦しみながら行き続けたこと、これが現代も、玉が歴史を行きぬいた女性のひとりとして支持されている一番の理由だろう。
 「生かされること」の難しさ、これは現代においても変わらぬ人間の本質的テーマである。