本当に智恵がある者となるために、愚かな者となりなさい。

 試験まで1週間を切って、何だか難しい話でもなく、試験のこととも離れた面白いことを一瞬でも考えたいと思う。
 パソコンに向かってそう思っていても、面白いことも浮かばず、リラックスもできず、試験以外の世の中の事件や事故のことを書くのも気が引けてしまう。
 そんなこんなで、ネタ探しをしていたら、本棚にある曽野綾子さんの著書「心に迫るパウロの言葉」が目に入った。
 最近は、本を読むときに、心に残った一節や自分にとって有意義な言葉を大切にしたいと思い、できる限り、その本のそういった箇所に付箋をつけるように心がけている。
 そうするようになってから読んだ本の中で、この本はいたるところに付箋が張ってある一番感銘した本といえる。
 そして、たびたび読み返す、unizouにとって座右の書となっている。
 その中の一章「捉えられた人間の自由 すべてはあなたがたのもの キリストのもの 神のものなのです。」に張ってある付箋の箇所で、なぜだか指が止まった。読みながら、今のunizouの状況について、示唆するような言葉が書かれている。
 曽野綾子さんは、「今まで私は、さまざまなことを望んだが、その中には叶えられたことと叶えられなかったことが、当然あった。そして、そのどちらも私にとっては意味があるのだと今は思えるのである。」と書いておられる。
 ご自身の戦争体験、東京大空襲のことに触れられ、自身は助かったのだが、近所の子沢山の花屋の一家が空襲で全滅したことについて、「どうしてあの一家が、親子ともども死ななければならないのかと、と思った。それは彼らが悪い人であったり、私が努力して逃げたから助かったりしたのでもなかった。そこには何か人間の力とは別なものが働いていた。」と書いている。
 そして、パウロの言葉「それぞれの働きに応じて自分の報酬を受けるのです。」という言葉を紹介し、「しかし、苦労したから必ずそのとおりになるなどというものでもない。」とも書いておられる。

 パウロは、「もしあなた方のうちに自分をこの世で智恵のあるものと思う人がいるなら、本当に智恵がある者となるために、愚かな者となりなさい。この世の智恵は、神の前では愚かなものだからです。」
(中略)
 「だれも人間のことを誇ってはいけません。すべてはあなたがたのもの、パウロも、アポロも、ケファも、またこの世も、生も、死も、現在も、未来も、すべてはあなたがたのもの、そして、あなた方はキリストのものであり、キリストは神のものなのです。」

 この一節は曽野綾子さんにとって非常に重要で、昔も今も、たくさんの願い事をしているが、その結果を不服とするか、そこに神の意思を読み取るかどうかは大きな違いであり、もし望ましからざる結果になったとしても、むしろその中に、その結果こそ良かったのだ、望みがかなえられなかったことこそ神の深い思慮だと、分かることが必要だと・・・。
 そして、別に「愚かな者になろう。」と努力しなくても、人間には一寸先も見えないことは、人間の能力がそうであるからであり、しかし、人間が愚かであることは神の恩寵であり、愚かでなければ、人間は夢見ることも、期待することも、明確にされることも、発見することもない。愚かさは楽しさに通じる。」と書いておられる。
 unizouも、一生懸命に願おうと思う。そして、やれるだけのことはやろうと思う。
 しかし、結果は「神の思し召しとして意味があること。」と率直に受け入れ、また、歩み始めたいと思う。