花水木とアメリカ

 さくらが終わってしばらくすると、空に蝶々が舞っているように花水木の花が咲き始める。
 近頃は人気が高いのか、住宅街の庭先や街路樹として植えられており、花の色も白やピンク、そして赤などとunizouを楽しませてくれる。
 以前住んでいた町で街路樹として植えられていたり(花水木通りと呼ばれていた)、公園に植えてあったり、また、可憐な花で花の見ごろも長いことでなんとなく興味があって見ていた。また、今では、さくらが終わって花水木というように体内にインプットされていて、本能的に四季の移り変わりを感じる一つにもなっているほどである。
 なぜ、こんなに興味があって見るようになったのかと考えると、さくらと花水木の対象的な咲き方、散り方にある気がしてならない。
 「さくら」といっても、春の到来を強く感じさせるソメイヨシノに代表される種類のものであり、一気に花を開花させ、1週間程度で散っていくものである。その咲き方、散り方は、日本人の好むところであり、日本人の人生観や死生観に繋がっているとよく言われる。
 一方の花水木は、その花の咲く時期の長さは、さくらに比べてずっと長く、花の色が変わって無残な姿をさらけ出しても、まだ、枝にしがみついているくらいである。
 その後、花水木がアメリカから送られたものだと知ったのは、そんな興味が湧いて調べたからだろうか。いきさつは忘れたが、アメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.ポトマック河畔の桜並木(世界の名所の一つになっているほどで、毎年3月末から4月のはじめにかけてのシーズンに、盛大に「桜まつり」が開催され、全米から観光客が訪れるという)のさくらが、1915(大正4)年に、東京市長尾崎行雄氏からアメリカのワシントン市へ 寄贈され、その返礼として花水木がアメリカから贈られたものであるという。このいきさつは、−米国ワシントンDCの桜物語−に詳しく出ている。http://www2.osk.3web.ne.jp/~aranishi/sakura.htm
 さくらが日本人を、花水木がアメリカ人を象徴していると考えると面白い。
 この両国が、戦後60年近くを、手を携えてやってきた。いいことも悪いこともあるのだろうが、不思議なことに他にはいない隣人なのだろう。いくらアジアが近いといっても、どん底にあった日本に付き合ってきたのは、アメリカが唯一ではないかとも思う。
 unizouは、批判されることが多い国アメリカではあるが、そのことを考えると、近隣諸国のアジアより尊敬できるし、頼りにもなると思う。
 そして、まだ、本当の民主主義や自由のありがたさを身に沁みて感じていないこの国日本ではあるが、その民主主義や自由の大切さを教えてくれたのも、アメリカだと花水木を見ながら感謝している。
 アメリカ合衆国に送られたワシントンD.C.ポトマック河畔の桜並木のように名所なっていてみんなに見られることはないが、花水木が住宅街のそこここに根付いているように、民主主義と自由も各家庭に根付いてきているのかもしれない。
 unizouとしては、その民主主義や自由は、アメリカ合衆国がそうだったように、多くの国で民衆が戦って勝ち取ったものであることも忘れてはいけない大事なことだと思っているが・・・。