アメリカⅡ

 先月24日に、ワシントンのホワイトハウス周辺で数万人の市民がイラク戦争に反対してデモを行い、米軍のイラク撤収を要求したということだった。
 そのデモに、イラク戦争で24歳の息子を亡くした「反戦母親」のシンディー・シーハンさんという人物がいて、アメリカだけでなく世界中の反戦主義者から持ち上げられているそうである。
 しかし、・・・この人の息子さんは、「母親がやっていることに草葉の陰で納得しているのだろうか?」とつい考えてしまう。

 誰でも、戦争に行くから死んでもいいとは思っていないだろう。どんな人でも、どんな場面でも、死にたくはないに違いない。
 きっと、この息子さんだって同じだったろう。
 だが、軍人になったときに、その気持ちと戦って、戦場に出て行ったに違いないと思う。
 その息子が覚悟を決めて、命を投げ出してまでやろうとしたこと・・・。
 母親だから持つ子への想い・・・。決して責めるわけではないが、息子の覚悟をどう思うのだろうか。

 いつも思うことだが、軍人だけでなく、死と隣り合わせの仕事をする人は多い。警察官、消防士、山や海での救急救助隊など・・・。
 その人たちの家族は、いつも、おびえているに違いない。絶対安全だといえる場所はないのだから。
 そして、当の本人達も、死を恐れる気持ちはないはずはないのに、それに打ち勝って危地へ飛び込んでいく。
 人間は不思議なものだ。お金に目がくらんでいる人もいれば、お金以上の何かで、命まで擲っていく人もいる。できれば、「炎のメモリアル」と言う映画を見て欲しい。
 そんな人たちがいて、自分たちの生活は成り立っている。その人たちに対する尊敬の念は絶えない。

 イラク戦争については、ただ単純に答えを出すことはできないのだろうが、一つだけ言えることはある。
 もし、あの戦争がなかったとしたら、それまで虐殺や暴力や差別を受けていた人はどうなっていたのだろうか。誰かが、救ってくれたのだろうか。
 今でも、すべてが、解決しているとは言えないが、暴力で主義主張を通そうとするテロリストを除けば、以前の状態よりずっと良くなった。

 暴力については、亡くなった伊丹十三監督が製作した「ミンボーの女」のパンフレットの中で次のように語っている。

人は誰でもやくざを恐れる。やくざの前では、目を伏せて、かかわりあいにならぬようにして生きている。やくざの前では人々は誇りを踏みにじられ、屈辱に耐えている。私がやくざを許せないのはそこなのです。やくざが人々を恐怖で支配し、それによって意思決定の自由を奪い、人々に屈辱の人生を強いることなのです。

 と言う風に語っています。
 これは、やくざに関する話ですが、やくざであれ、国による暴力による支配であれ、暴力によって虐げられてきた人々は、「人間の自由、プライド、勇気、尊厳」を持って戦ってきた。戦ってきた人たちがいるから今の世界がある。

 言っておきますが、決して、unizouは、好戦主義者じゃありません・・・。
 ただ、きれいごとでは済まされないことは、世の中にいくらでもある。