キラキラネーム

 世の中困った親が多いものだと嘆いてしまうが、そんな親を持つ子どもにしてみれば、悲しく、悔しいに違いない。
 以前から話題に上っていたが、最近、特に、風変りな名前を付ける親が多いという。
 漢字の読みにも当てはまらないばかりか、想像することさえもできないような名前である。

 そして、次のような話が先日ニュースにあった。
 「キラキラネーム」で患者取り違えの恐れ? 救命医のツイッター苦言に賛否両論 - ライブドアニュース

 「キラキラネーム、頼むからやめてください」。こども病院の救命医が患者取り違えの危険性があるとしてツイッターでこう訴えたことに、様々な意見が出ている。
 キラキラネームを巡っては、いじめの対象になったり、就職が難しくなったりするといった指摘も出て、論議になっている。今度は、医療現場からも疑問の声が出てきた。

 キラキラネームに苦言を呈したのは、静岡県立こども病院で医師をしている植田育也さんだ。植田さんは、2013年7月30日のツイートで、J-CASTニュースの記事をリンクで紹介した。
 記事では、芸能人らが「空詩(らら)」「宝冠(てぃあら)」、「澄海(すかい)」などと名付けていることをテレビのワイドショーが取り上げたことをまとめてある。
 これに対し、植田さんは、救急隊から電話が来ると、こうしたキラキラネームでは患者のIDを作り間違えてしまうと指摘した。後で作り直すと2つのIDができて、患者取り違えの危険性が増すとして、「電話で伝わる名前にしてください!!」と訴えた。

 それに対して、次のような意見があったそうである。

 賛同する声としては、「これは切実だなあ」「まあ常識的な名前を付けろってこったな」といったものから、「極端な当て字は不可にすべきだと思う」との意見さえあった。一方、疑問としては、「これシステム自体がまずいだろ…」「ニーズにこたえられるスキルを有していない」「名前をつけるのは親の自由」といった声が出ていた。

 unizouがこの問題で一番心配なことは、「名前をつけるのは親の自由」といった意見である。
 そのとおりかもしれないが、親が自分の子をおもちゃにして遊んでいるとしか考えられないのである。
 こういった風潮は、こどもだけではなく、ペットの飼育にも当てはまる。
 
 人間の名前は一生ものだ。若いときから、高齢になっても使う。
 理性を持って名前をつけないと、子どもは親の浅はかさを将来恨むだろう。
 それにしても、自分も含めて子どもっぽい大人が増えた。
 反省せねば・・・。

女性社員がコンパニオン?

 先日行われた社内の飲み会で、異様な光景を目にした。
 役職の高いお偉方のところに、女性社員を人身御供のごとく差し出す中堅管理職がいたのである。
 なかなか気難しいお偉いさんなので、宴会の場を盛り上げて、普段の事務にも支障が出ないようにという配慮したのだろうが、配慮の仕方が不自然で、女性をコンパニオンのように使うことに恥ずかしさがないのかという気持になった。
 また、人身御供のごとく差し出される女性社員も、この機会とばかりに横に座って笑顔を振りまいている。
 きっと、まともな女性なら、そのような対応をさせられることが、屈辱だろうと思う。
 もちろん、宴会の場は盛り上げて、楽しいにこしたことはないし、お偉方の機嫌がいい方が、仕事がスムーズに回ることが多いだろう。
 しかし、男性社員も女性社員も、同様に見てもらわなければ困る。
 女性登用とか、ポジティブアクションなどと言われ、才能のある女性が登用されていくのならわかるが、コンパニオンのように振舞う才能のない女性社員が登用されていくのでは、男性に対する逆差別になり、会社の組織力は低下し、組織は機能しなくなる。
 そういって登用された女性社員も、登用されたは良いが、力不足を感じ、うつ病など精神疾患を患うケースもある。
 大体、unizouは部下が気を遣うような上司はダメだと思う。
 上司は、華やかで目につく部下だけを大切にするのでなく、本当の意味で組織を支えている地味な部下まできちっと掌握し、そういった人こそ大切にしないと、見かけ倒しの会社になってしまうと思うのである。

半沢直樹2

 先日、TBSで放映されているドラマ「半沢直樹」のことについて書いた。

 半沢直樹の妻を演じる上戸彩さんの演技に、賛否両論あるという。
 否定派のcyzo womanの田幸和歌子さんの記事に、unizouは意義を唱えたい。『半沢直樹』で1人だけ昼ドラ臭を放つ、上戸彩の存在意味(2013/07/21 11:45)|サイゾーウーマン

 そんな中、唯一「演技が下手」「いらない」など、ネガティブな声が多数聞かれるのが、半沢の妻を演じる上戸彩の存在だ。「思ったことをすぐに口にするタイプ」「半沢が唯一かなわない相手」という設定で、銀行内外の闘争とは別に、もう1つの戦い「社内の奥様会」を繰り広げているのだが、「奥様会」シーンが始まると、唐突に安っぽい昼ドラ臭がしてしまうのは、やや残念に思える。

 unizouが思うに、このドラマは、多くは真実ではあるが、実際に「半沢直樹」のように行動している銀行員はいないことはないとは思うが、ドラマの「半沢直樹」は理想の銀行員の姿だと思う。
 そして、上戸彩さん演じる妻は、銀行員の常識を持ち合わせていない、普通の世間一般の人である。つまり、銀行に関係する人たちとは全く正反対の、常識ある人の象徴的な存在だと思うのである。
 その妻が、健気に奥様会などで慣れないことをして、夫を支えるから可愛く思えるのであるし、安っぽい昼ドラ臭のする場面があるから、より銀行の悪さが浮き立つのだと思う。
 これを、シリアスな妻、シリアスな設定にしてしまったら、NHKのドキュメンタリーっぽい硬いドラマになって面白みは半減するし、そんな設定だったら、興味も湧かず、観なかったと思う。
 unizouとしては、ドラマの演出も上戸彩さんの演技も、銀行と世間の乖離をしっかり浮き立たせて良いと思う。
 上戸彩さん演じる妻にリアリティを追求すると、田幸和歌子さんのような意見になるのかもしれないが、そうなると「半沢直樹」も存在しなくなるし、ドラマ「半沢直樹」もないとunizouは思うのだが、いかがだろうか。

参議院選挙

 参議院選挙が終わった。
 結果は、自民党の圧勝だった。
 アベノミクスで経済が良くなる期待感が大きいのと、民主党政権の失敗の反動の結果だと思うが、unizouは、今一つ信頼できない気持が強い。かといって、他に頼る政党も、人物もなかなかいない。
 世の中は、「ねじれが解消した」と喜んではしゃいでいるが、unizou自身は、ねじれ投票して気分は冴えない。
 では、自民党に何が足りないのだろうか。
 unizouとしては、同じ政党内で人によって考えている政策に違いがあるのは、そんなに気にならない。いろいろ議論し合って、政党として決めれば良いし、最終的には他党とすり合わせていけばいいのだから。それよりも、政策の先に国民にどういう生活をさせてくれるのかが全然見えてこないのが、一番気に入らない。
 どの政策も対処療法的で、一時凌ぎのものばかりのような気がするのである。

 次のようなことを政党が明確にしてもらいたいと思っている。

  • 自由であるための国民の責任と負担
  • 自然との共生
  • 地域社会や家族のあり方

 地域社会や家族のあり方など、「それぞれ個人の自由だろう」と言われるかもしれないが、実際にそう思っている人は少数だという気がしている。
 多くの人は、現在の安定や将来のため、何よりも昔の人たちから現代の人へ、現代の人から未来の人たちへ「つなぐ」ためには、そういったことがしっかりしていないと、現代の人たちだけが、熟した果実を味わって「つなぐ」ことができずに終わってしまうと危惧していると思うのである。

 言いづらいことを言うのは嫌なものだが、それを避けていたのは、大衆迎合になってしまう。その大衆も、実際は声を上げるマイノリティなのだが・・・。
 国民の自立と多くの議員の自立したリーダーシップによって、経済だけに頼らない本当の幸福が得られる国になってもらいたいと痛切に願っている。

半沢直樹

 TBSの新日曜劇場で放映されている「半沢直樹」が、面白い。
 unizouとしては、半沢直樹が良く使う「バンカー」の意味を噛みしめながら観ている。
 そして、笑福亭鶴瓶さん演じる父親の言葉、「ロボットみたいになったらあかんで、人と人のつながりは大事にせなあかんで」という言葉にも、共感を覚えている。

 今の時代でも、銀行員一人一人は、普通の人なのだと思う。
 ところが、銀行だけでなく、どこの組織でも同じなのだと思うが、組織としていろいろなことに関わってくると、普通の人が、突然、恐ろしい人に変容する。組織を守るためだと言いながら、実際は自分を守るためだけに、非人間的なことを平気でしてしまう。そして、そういう非人間的になってしまった人を、周りの人間も自分を守るために止めることができない。

 さて、unizouが考えるバンカーとは何か。
 決算書を精査し、社長ほか従業員の事業に対する真摯さを推し量るなど、適度な緊張感の中で顧客と向き合い、社長や従業員、そして会社の取引先や会社の社会貢献のため、寄り添うように、アドバイスや適切な融資をしていく。
 といったところだろうか。しかし、こういったことは、手間がかかるし、面倒くさいし、大きな利益に繋がらないのだろう。

 ドラマの中で、宇梶剛士さん演じる西大阪スチール社長の東田満が、
「銀行は晴れの日に傘を貸して、雨の日に取り上げる」
と言っている。
 これは、unizouが、実際に会った多くの事業者から聞いた言葉である。
 西大阪スチール社長の東田満も、言語道断な人間なのだが、unizouが考えるバンカーとは程遠い銀行員はドラマの中だけでなく、実際に多いのかもしれない。
 ただし、だからと言って、西大阪スチール社長の東田満のようなどんな事業者にも、目をつぶって融資するべきだと言っているのではない。
 
 グローバル化し競争が激しくなったと言っても、何億も何十億もの融資だけが大事なわけではあるまい。
 前にも書いたが、経済だけでなく、社会の秩序においても、銀行は世の中の羅針盤だと思うのだ。
 雑多な企業との最前線にいる銀行が、きちんと企業と向き合えば、世の中の秩序は保たれ、経済もきちんとした方向に進む。バブルのような浮かれた事態は招かなかったはずだと思うのである。
 ドラマのこれからの展開を楽しみながら、多くの銀行員の皆さんに熱い気持ちを呼び起こしてもらえたらと期待している。

デトロイト市破綻

 アメリカのデトロイト市が破たんしたとのニュースが、世界を駆け巡った。
 負債総額は、約180億ドル(約1兆8000億円)に上るという。
 負債総額より何より気になるのは、警察が市民からの通報を受けて対応するまでにかかる時間が1時間と、全米平均の11分に比べて大幅に長く、また、市内の街灯の40%は消えた状態だったということ。
 そのため、凶悪犯罪発生率は全米1位だという。

 これから財政再建していくには、市職員の年金受給額の切り下げや債権放棄など、市職員や債権者が不利益を受忍しなければならないという。もちろん、住民も大きな負担を強いられることになるのだろう。

 この件を聞いて思ったのは、個々人の利益が先か、それとも、公共のシステムが維持されることが先かどっちなのだろうかということ。
 そして、こういったことは、国・地方を合わせて750兆円にも上る、日本や地方公共団体にも起き得ることなのではないかということである。

 実際、日本でも多くの住民は「無駄な税金の使い方を止めろ」と言いながら、具体的なことになると「この施設は欲しい。あの施設も欲しい」ということが多い。
 「無駄な税金を使うな」と言いながら、一方では、「自分の懐から直接出さないから、身近なものは造ってくれ、修理してくれ!サービスしてくれ」といったことである。
 しかし、住民サービスはただではないし、公共施設の建設、維持管理もただではない。

 今回の件は、対岸の火事でなく、実際に日本にも起き得ることなのではないかと思う。
 治安の維持や安全であるための必要なサービスが受けられだけの負担をしっかりし、必要のない給付を我慢するくらいの覚悟をしないとならないはずだ。
 治安が悪く、救急車でさえまともに稼働していない、安全でない都市に誰が住む気になるだろうということなのだと思うが、そういった最悪の事態を承知していろいろな要求をしないと、住むこともできない都市になってしまうということなのだと思う。

神の領域

 昨日、以前同勤した後輩に会社のエレベーター前で会った。
 元気?
 えぇ、元気です。
 お子さんは?
 えぇ、元気です。
 もう、いくつになったの?
 2歳半です。
 そろそろ、二人目が欲しいんじゃない?
 えぇ、今妊娠中です。今度も、男の子です。
 もう、わかってるの?知らない方がいいのに(笑)
 えぇ(笑)

 生まれてくる子が、男か女かわかるくらいなら、あまり気にしないが、昨日の読売新聞にあった「新型出生前診断で、陽性と確定した妊婦のうち2人が人工妊娠中絶」という記事は、笑えなかった。
 陽性と判定された29人は、ダウン症が16人、18トリソミーが9人、13トリソミーが4人だったそうである。
 確かに、障害を持った子を育てることは大変だ。
 生まれてきた子も、本当に生まれてきて良かったのかと思うかもしれない。
 しかし、これからの時代が、生まれる前から、障害だけでなく顔や優秀さなどで、人間が選別されて生まれてくることになったらどうなのだろうか。
 きれいな人、優秀な人、運動のできる人などだけが生き残る世の中になっていくことはないのだろうか。
 人間が、わかっていいことと、わかってはいけないことの区別はないのだろうか。
 人間が、操作してはいけないこと、操作していいことの区別はないのだろうか。
 既に新型出生前診断が始まってしまったが、もう少し、どうあるべきかを慎重に議論すべきなのではないかと思うのである。
 神の領域に人間が踏み込んでは、倫理や秩序が乱れ、個々の上辺だけの幸福追求が社会の崩壊に繋がってしまうのではないかと、危惧している。